るぅラボ/RuLab 〜リハビリ専門家のひとりごとを公開〜

リハビリの専門家、理学療法士るぅのお役立ちブログ

Who is るぅ?part3【プロフィール】

こんにちは。るぅです。

 

理学療法士という資格を持ち

デイサービスというところで

機能訓練指導員という役割の

仕事をしています。

 

 

ブログって、

どんな人が書いているのか

とても気になる方だったので、

自分が書くときはできるだけ、

私がどんな人がを書きたかった。

 

 

そして、自分史のような

プロフィールになっていると

いうわけです。

 

今回は、中高生の頃の私です。

サラーっと書きます。

バスケしかしてなかったので😅笑

 

興味がない方は、ほんとに飛ばしてくれて

大丈夫です😅汗

 

あぁでもできた読んでほしい😆

 

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写真:写真ACより Nago-miさん

 

****************

 目次

 

1:おばあちゃんの生まれ変わりだ!と言われて、産まれる〜活発な幼少期

2:めちゃくちゃネガティヴだった小学校時代

4:夢に燃えた専門学生時代(PTとの出会い)

5:遅刻の常習犯で減給を経験した東京時代

6:何気なく就職試験にパス

7:やっと決断した!目指せ!理学療法士学生時代

8:就職したが、3ヶ月で泣く…

9:実家で半年過ごすも、どうしようもなく堕落

10:スカウトされる⁈

11:デイサービス!楽しいかも⁈

12:色んな事が体験したいの!!

 

****************

 

3:バスケに熱中した中高生時代

 

小学生の高学年…特に6年生になって

 

中学校に行ったら、絶対バスケ部に入る!

と心に決めていたので、ちょっと怖めな先輩の

ソフトボール部への誘いもスパッと断り、

バスケ部へ入った。

 

県内でも規模の小さい市ですから、

小学校から中学校まではそのまま

持ち上がるだけなので、学年の顔ぶれは同じ。

 

クラスが変わるだけ。4クラスしかなくて

9年間同じメンバーなんだから、たぶん

話したことのない同級生はいない気がするが、

どうだろう。

 

同じクラスになったことのない

子はいるかもしれないけど。

 

 

部活動は、バスケ部を選び、中々クセのある

先輩がチラホラいたのと、多感な時期、

時代というのもあったのか、今思えば

キャストは揃っていたという感じだろう。

 

 

人生で初めて「キレる」という事を体験した。

 

家族以外の人に文句をぶちまけた。

中2の時だったかなぁ〜

 

1人は、顧問の先生。

全くバスケを知らない先生だった。

人相が悪くて運転が下手で

試合の送迎の時よく酔いそうになった。

確か英語の先生だったらしいが、習った事はない。

 

もう1人は、バスケ部の同級生。

私より背が高く持久力もあったが、

ひょろっとしていて自信のなさそうな子。

 

その子は

うちのお母さんの事を悪く言ったのだ。

自分の事をいわれるなら我慢できるが、

それはもう文句ではなく、自分の意見を

たぶん結構感情的に言ったので

キレていたと思う。 

 なんて言ったかは覚えていない。

 

 

もう1人も、バスケ部の同期生。

 自分で言うのもなんなんだが、

私はその時のメンバーの中で

1番バスケがうまかった。

自分たちの代が3年生になった時

満場一致でキャプテンになった。

 

その子はちょっと悪い先輩たちと

仲がよかったので 、よく分からない

権力みたいなものを持っていると

思っていたのか…一応、部長になった。

 

が、めちゃくちゃふざけた態度でいる事で

私だけでなく部内の不満が溜まりに溜まり

爆発💣💥

 

私が、「ぶちキレた!」

初めて「ぶちっ」っと音がした!

 

その子は…部活、辞めたんだっけなぁ。

もうすでに思い出せない。

 

 *

 

中学生の頃は、まだ勉強も楽しくやっていた気がする。

塾も行かせてもらっていたし、その塾も楽しかった。

 

でも、週3の夏休み前、担任の清水先生に…3者面談で、

希望の高校は、頑張らないと少し難しいと言われて、

パチっ」と、スイッチが入った!

 

夏までバスケしかして来なかった上に、

元々そんなに勉強が好きではないときている。

 

しかし、スイッチが入ったら、あぁなるんだなぁと

思い返してもすごいと思うが、受験までの約半年間

 

一生のうちで一番勉強した!

思い返しても、これまでの人生イチである。

 

そして、晴れて受験は終わり、合格発表は、貼り出し。

朝、母と見に行った。

 

受験番号を見つけた瞬間の喜びと言ったら…

「嬉しくて言葉が出ない」という事を体験した。

感極まって泣いたくらい、本当に嬉しかったのだ。

 

 

その高校には、

バスケのいい指導者の先生がいる事も選んだ理由だ。

 

その先生のもとでバスケができる事が

楽しみで仕方なかったo(^▽^)o

  

まぁそれも結構浮かれていたんだなぁと

今は思い返す。

中学時代にその先生に、練習試合で褒められたのだ。

 

あの子はこのまま続けていけば、県の選抜選手に

なれるかも」なんて、聞いたのだよ。

 

中3の私が、かなり頑張って勉強して、その先生に

指導を受けて、県選抜入りする!

 

これは、途中まではイメージできていた。

 

そして、そのせんせいの指導を受ける!

というところまでは叶った。

 

しかし、それは高1まで。

公立高校の宿命なのか、先生は私が高2になる春…

 

なんと異動。しかも、県内ベスト4クラス、

優勝も狙えるレベルの高校に。

 

県内の女子バスケのレベルアップの為だということだ。

そして、長くいすぎたようだ。

10年以上らしいから、

そういう理由もあるらしいが、

私の先は真っ暗な気がしてならなかった。

 

 

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写真:写真ACより FineGraphicsさん

その後、私は、高2、高3をバスケ漬けに過ごし、

高3の夏、やっと進路を考えるようになった時、

いつも読んでいた月刊バスケットボール

「ある記事」を見つけた。

 

それを読み、また「パチっ」とスイッチが入る。

 

将来何がしたいのか、本当に体育の先生になるのか。

考えていた。

が、その記事を見て、はっきりと定まった。

 

月刊バスケットボール 2020年 7月号[雑誌]

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その記事には、『アスレティックトレーナー』が

バスケットボール選手の怪我やリハビリ、

ストレッチやテーピングをするというような事が

書いてあり、この仕事、私、やりたい!!これだ!!

 

っと、ビビッと来た。

 

それから、どうやったらなれるのか、

大学や専門学校を探したり、オープンキャンパス

予定を調べたり、だだだーーーっと事を進めた。

 

そして、私は家を出たくて仕方がなかったので、

群馬県内にはなかったのもあるが

ゼッタイ東京に行こうと考えていた。

 

そして、ほとんど勉強もせず、願書を出し、

早々に進路が決まった。

その後は、自動車教習所に通ったり、

進路の決まった仲のいい友達と遊んだりしていた。

 

高校受験の時と全く違って、ある意味全く焦りのないまま

受験を片付け、東京へ上京する事を決めていた。

 

 

考えてみると、私は少し先の未来を考える時、

 

ビビッと来た、直感的で、感情の赴くままに、

決めてきた。

 

その時は、意図的にはしていなかったが、

今振り返るとそうだし、自分で決めて来たし、

母親には、いつも事後報告だ、と言われるので、

昔からそういう風だったんだと思います。

 

 

+++++++++++++++++

 

っとまぁ、さらっと書くと言って、

内容は別として結構、量を書いてしまったが、

もしここまで読んでくれた人がいるなら、本当に本当に感謝した。

 

 

本当にありがとうございます♪

 

そして、私の今後の自分史に興味を持ってくれた人がいたら、

そのあなたはとても変人かもしれないけど、大好きです♪

 

次回は、アスレティックトレーナーを目指して邁進する

専門学校時代です。

 

お楽しみに♪