Who is るぅ?part4【プロフィール】
こんにちは。るぅです。
理学療法士(以下、PT)という資格を持ち、
いつもはデイサービスというところで
高齢者のリハビリをする仕事をしています。
このブログは、理学療法士として
患者さん・利用者さん・入所者さん・入居者さん
と触れ合う中で、経験から学んだことや
失敗したこと、上手くいったことなどから
リハビリだけでなく、在宅生活に必要な知識・情報、
リハビリや介護に関わる人に向けて役立つ情報が
発信できたらなぁと思って始めました。
正直、理学療法士としての向上心はあまりありませんが、
私レベルの理学療法士でも、経験の中から
きっと誰かの役に立つ事があるのだと思っています。
そして、どんなヤツが書いているのか、
気になる方もいる気がするので、
あっ!私は気になる方です😅
なので、プロフィールというか自分史的なものを
書いておこうと思います。
興味を持ってもらったら、嬉しいです。
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目次
1:おばあちゃんの生まれ変わりだ!と言われて、産まれる〜活発な幼少期
7:やっと決断した!目指せ!理学療法士学生時代
8:就職したが、3ヶ月で泣く…
9:実家で半年過ごすも、どうしようもなく堕落
10:スカウトされる⁈
11:デイサービス!楽しいかも⁈
12:色んな事が体験したいの!!
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4:夢に燃えた専門学生時代(PTとの出会い)
アスレティックトレーナー(以下、AT)を目指し、
高校卒業とともに上京。
2年間のカリキュラムが終了し、試験を受けてAT資格を取得し、
活動をスタートするつもりだった。
が、とてもとても甘い世界ではない事を専門学校2年生に
進級した後知ることになる。
トレーナーとしての実習地は限られている。希望しても、
いけない人もいるのだ。
授業態度、成績、熱意、少しの運も必要だったかも知れない。
私は、運良く、中高とバスケをしていたからなのか、
私のキャラクターがよかったのか、バスケの実業団チームに
実習に行くことになった。短い2週間程度の実習は
あっという間に終わったが、その後も卒業まで通い
勉強させてもらえた。
少し妬みみたいな事を友達から言われることもあったが、
目の前のことでいっぱいで人のことまで考えてはいられなかった。
たった2年しかない時間をどう過ごしたのか覚えていないが、
結構真面目に勉強していたと思う。
基本的には勉強が嫌いな私が、勉強が楽しかったのだから。
特に、解剖学が好きだった。
人の体の構造を理解していくことが、快感とでもいう感じ
だった気がする。あと、運動学とかも好きだったなぁ。
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実習の話に戻るが、
その時の「出逢い」が、ゼッタイに今につながっている!
ということが起きる。
初めて出逢った。その実習地のトレーナーは、
そして、いつものように練習に行くと、
ある主力選手のリハビリをしていた。
私には、その手技がなんだか『魔法』のようにみえて、
雷が落ちたような衝撃を受けた。
なんなんだ?!理学療法士ってなんだ?!何者だ?!
*
あの時、私はもし資格を取ろうと思うことがあったら、
理学療法士だ。と心に決めていた思う。
専門学校卒業してからは、頭に「理学療法士」の事を考えながら
ひとまず、接骨院で働きながら、
トレーナーとしての現場としてアメフトチームで活動を
させてもらった。もちろん無償。ボランティア。
でも結構燃えていたので、一生懸命だったので、
給料が安くても、休みなんかなくても、なんとかなった。
友達と遊びたくても、彼氏と出かけたくても、
トレーナーとして何とかやっていく事が出来たら
報われる。と思っていたし。
※あっ、ちなみに、AT資格は取得していません。
実技は通っていましたが、筆記が…ねっ
少し卒業後の事も来ちゃったけど、
卒業を前に、悩んだ時期あった。
この世界が厳しい事もあったが、
トレーナーとしてどんな事がしていきたいのか、
迷走していたように思う。
だから、何年か経験を積んだら、理学療法士資格を取ろう。
そう言い聞かせて、自分としっかり向き合わなかった
のかもしれない。
でも、この専門学校時代がなかったら、
今に全くつながらない気がするので、
大事な体験をさせてもらって本当に感謝している。
5:遅刻の常習犯で減給を経験した東京時代
専門学校を卒業してからは、接骨院1年とスポーツジム1年程
それぞれ働きながら、並行してアメフトチームで2年活動した。
接骨院の時も、スポーツジムの時も、少し慣れて来た頃、
寝坊して遅刻が増え…何回したか覚えていないほど。
自分でも病気なのかも知れないと思うほど起きられず、
スポーツジムにいた頃、遅刻連発した時、
ボスから「今月は減給だ!」と言い渡された。
結構ショックで…なぜか自分でも答えが出なかったが、
とにかく目覚ましかけまくって、出来るだけ早く寝て
対処した。
正直、マジでその時病気だったかも知れないww
きっと周りの人には、「今時の若い人は…」と
思われていたのではないかと思う。
いやっ!ゼッタイ思っていたし、もし私が同僚なら
バカなヤツだ!思ったであろう。
6:なんなく就職試験にパス
そんなどうしようもない状態ではあったが、
なんとか歯を食いしばって休日のほとんどない
社会人2年目も半年たった頃、業務で一緒になった
大先輩が、
「ねぇ、MCL損傷のバレーボール選手がいるんだけど、
お前だったら、どんなアスリハのメニュー立てる?」
「私なら…」っと、今のそのアスリートの状態を聞いて
確認しつつ、多分セオリーから大きく外れることのない
シンプルなメニューを答えたと記憶している。
すると、その先輩は、
「そっかー。参考にさせてもらうね」
っと、行ってしまった。
??私は、何んだったのか??ポカンとしてしまい、
なんとも当たり前のようなメニューを立てたから
ゲンナリしてしまったのか。とも思ったが、
何かあれば、また話が来るだろうくらいに考えた。
そして、1週間か2週間か経過したのち、
その先輩と顔を合わせた時、こっそりと言われた。
「恩師のクリニックで正職員で働くリハ助手探しているんだけど
私と一緒に働かない?」
その時の私のリアクション…
「えっ∑(゚Д゚)!?」っと、真ん丸な目をして驚いたと思う。
そして、それを一度持ち帰って考えてっと言われ、
少しソワソワしながら、驚いたけど、内心は
「よっしゃーー!!」かなり喜びながら、
答えは持ち帰る事なく決まっていた。
「行く!!」
あとは、諸々の質問を先輩にして、ある程度クリアになって
一応、形だけの見学兼面接を済ませて、晴れてスポーツ整形外科の
専任トレーナーとして採用され、就職した。
場所は、なんと、茨城県!!
場所的に、車も必要になり、親に手配を頼み、家を探しに行き、
2週間くらいは東京と茨城を往復しながら、慌ただしい年度末
を過ごし、何とかその年の4月から入職となった。
この後、自分の甘さがどんどん飛び出してします日々を過ごす事に
なる事も知らずに、この時はまだ、期待に胸を膨らまして
ワクワクしていた。
✳︎
さぁ、かなりPTへの道に近づいてきました!!
でも、本当にこの茨城での経験があった事で
PTの卵、学生時代の実習がかなりスムーズに行くという
幸運を掴むことになりました。
本当に、無駄な経験はないですね♪
その後は次回へ続きます。
ある意味運命の瞬間が起きます!!
お楽しみに!