るぅラボ/RuLab 〜リハビリ専門家のひとりごとを公開〜

リハビリの専門家、理学療法士るぅのお役立ちブログ

Who is るぅ?part6【プロフィール】

さぁ、理学療法士るぅの自己紹介シリーズpart 6☆

 

普段は、理学療法士という資格を持ち、

デイサービスというところで、

機能訓練指導員という仕事をしています。

 

今は、自分の祖父母と同じくらいの世代の人と

過ごす時間を楽しみながら、働いています。

 

楽しい!と思う反面、

ゼッタイにこうなりたくないなぁと

思う部分は多く、

また自分の未熟さも感じながら、

 

私が経験したことが

もしかしたら同じようなところで

悩んだりした人の役に立ったり、

大切な家族をデイサービスへ

送り出すご家族の役に立ったら

嬉しいなあぁと思って

このようなブログを始めてみました。

 

 

私は、どんな人が書いているのか

とても気になる方なので

情報として必要かは分かりませんが

るぅという人間がどんな人かを

書いておきます。

 

 

もしここまで、1から読んでくれた方がいたら、

あなたは神です😆✨

 

自己紹介って、こんなに長く書くか⁉️って

ほど長い。これは、自分史です😅

 

飛ばしてくれて大丈夫です😆

 

興味を待ってくれたら、読んでね。

 

****************

 目次

1:おばあちゃんの生まれ変わりだ!と言われて、産まれる〜活発な幼少期

2:めちゃくちゃネガティヴだった小学校時代

3:バスケに熱中した中高生時代

4:夢に燃えた専門学生時代(PTとの出会い)

5:遅刻の常習犯で減給を経験した東京時代

6:何気なく就職試験にパス

7:やっと決断した!目指せ!理学療法士学生時代

8:就職したが、3ヶ月で泣く…

9:実家で半年過ごすも、どうしようもなく堕落

10:スカウトされる⁈

11:デイサービス!楽しいかも⁈

12:色んな事が体験したいの!!

 

****************

 

8:就職したが、3ヶ月で泣く…

 

 

さぁ、理学療法士として、勤め始めましたが、

配属ですよ!は・い・ぞ・く❗️

 

 

わたし、病院に勤めたかったんですが、

 

なんと、老健❗️❗️ろ・う・け・ん❗️

 

老健…介護老人保健施設の略

 

まぁ、それは国試の数日後、リハビリ科の課長から電話があって聞いてはいましたが…

 

新人研修を終えて、いざ働き出すと、目の当たりにする訳ですよね!

 

もう医療従事者としてこんな事を思ってもいいのかなぁ〜なんて事もありますから、この部分はどこまで書けるか分かりませんが…

 

って言っても、書きますけど😅

 

とにかく、もう早く慣れようと思って過ごした

3ヶ月間のことは、その後の時間より長かったように思います。

 

たまたま行った友人宅で、不覚にも号泣するんです、わたし😭

 

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とにかく、寝たきり率の高い老健だったんだと思いますが、、、

 

ベッドサイドに行って、リハビリをしていて

思わず涙を滲まずこともありました。

 

 

なぜかと言うと、その時の私は未熟でしたので

寝たきりの入居者さんに対してリハビリをする事を

 

「意味があるのかなぁ〜」

「やりたいことではないなぁ〜」

「何で私が老健なんだろう」

「楽しくないなぁ」

 

など、入職時から不満たらたらのまま

働いていました。

「この病院を就職試験を受けた時に

病院か老健かどちらかの勤務になるけどいいですか?」

 

「はいっ」

 

確かに、私は、

私の責任としてそれに同意したのです。

 

だから、誰を責めるつもりもないですし

後悔もなかったのですが、

 

ただ自分を責めていたと思います。

 

元々自分のことが好きではなかったし

自己肯定感が低い方でしたから。

 

 

そんなうちに秘めた様々な想いは

入職から3ヶ月経った頃、爆発します💣💥

 

 

今では人生の師匠・メンターと呼べる友人宅に

遊びに行った時、世間話の延長で何気なく聞かれた

質問に答えながら、自分で自分の想いにどんどん気づいていき

そのうちに秘めていた想い「本音」が

ダムが決壊したかのように流れ出しました。

 

多分、数時間は泣いていたと思います。

 

しかも、ずっと話しながら^^;笑

 

このことがそのあとの私の色んなことを

決める時のヒントというか

基準になった気がします。

 

「私は何がしたいのか」

 

という事です。

 

今リハビリしている入居者や利用者を見ていれば

「いつか突然人生が180°変わるかも知れない!」

 

それが病気か怪我か、またそれ以外か

何かは別として、何が起こるか変わらない。

 

だとしたら、

 

「やりたいことをやろう」と!

 

「後悔はしたくない」と!

 

 

私がその時思った「やりたいこと」は

「予防」でした。

 

病気も怪我も、自分が気をつけていたら

予防できるものがほとんどなわけです。

 

だから、私が働きたいのは老健ではない!

 

元々そう思ってはいましたが、

色々な理由で自分を納得させていました。

 

1年は経験だと思って老健で勤務をしましたが

2年目に入って3ヶ月位が経過した梅雨〜夏の頃

課長との定期面談で退職の旨を伝えようと思って

臨んだその面談で、意表を突いた「異動」の話。

 

 

元々が病院勤務希望でしたから

こんなに早く異動するというのは

異例だったと思います。

 

周りの先輩方に聞いても

異動には3〜5年…あるいはそれ以上

と聞いたいたので

「辞める」意思を伝える決意をしていました。

 

「異動」の話をもらって考え直し

病院での経験をしたいと思い

その時決めていた意思は胸の内の留め

新年度が来るまでの8ヶ月間老健で経験を積もうと

決めたわけです。

 

決めてからはあっという間でしたが

「決める」と周りが見えるようになるのか

楽しさも出てきて、さあやっと来月から病院勤務だ!

 

と思っていた、3月11日(金)14時46分…

 

東日本大震災が起きました。

 

私が勤務していた茨城県西部は確か震度5弱だったかな。

 

出来事で言ったら今まで経験したことのないような経験を

した濃い1ヶ月を過ごしたと思います。

 

私自身は被災したわけではありませんが

メディアからの情報は想像の外側すぎて…

ってことは、実際にはその数十倍も考えられないことが

起きたのだということですが

 

私はこの後より一層、「私はまだ生きている。だとしたら

何をしたいのか。何にエネルギーを使おうか」

この質問がいつも頭の中あって

日々の生活を送ってきました。

 

病院へ異動し、約1年後、病院でも老健でも

大きな変わりがないことが私の中ではっきりしてきて

また、梅雨〜初夏の頃、定期面談で課長に

退職する旨を伝えました。

 

この時の私の中で「はっきりしていたこと」は

 

「予防」です。

 

病気や怪我をする前に…何とかしたい!

 

以前からそう感じていました。

だから、この今の私のままでエネルギーを使うのは

イヤでした。病院でも老健でも同じでした。

 

それがはっきりわかったことは大きな収穫ではありましたし

経験も積めました。

 

課長からは後ろ髪引かれるようなことも言っていただきましたし

それが嬉しかったのは確かですが、私のエネルギー(命)をどこで

使うのかを決めるのは私なのでスッキリしていました。

 

そして、翌年3月末で晴れて卒業し、次のことも考えずひとまず

実家で過ごすことにしたのです。

 

きゃーー自分史って結構長い😅笑

 

ここまで読んだ人…いないかもしれませんが

いたら友達になれそう😄

 

さて、今回書こうと思っていましたが、堕落した半年間については

次回書きますので、よかったら♪

 

マジで思い出したくないような懐かしいような

書きたいような書きたくないような😅

 

まあ書きますけど💦

 

 

ではこんなところで。るうでした。