るぅラボ/RuLab 〜リハビリ専門家のひとりごとを公開〜

リハビリの専門家、理学療法士るぅのお役立ちブログ

Who is るぅ?part8

さあ、私、るうの自分史Part8です。

 

始めに。

 

普段は、理学療法士という資格を持ち、

デイサービスというところで、

機能訓練指導員という仕事をしています。

 

今は、自分の祖父母と同じくらいの世代の人と

過ごす時間を楽しみながら、働いています。

 

楽しい!と思う反面、

ゼッタイにこうなりたくないなぁと

思う部分は多く、

また自分の未熟さも感じながら、

 

私が経験したことが

もしかしたら同じようなところで

悩んだりした人の役に立ったり、

大切な家族をデイサービスへ

送り出すご家族の役に立ったら

嬉しいなあぁと思って

このようなブログを始めてみました。

 

 

私は、どんな人が書いているのか

とても気になる方なので

情報として必要かは分かりませんが

るぅという人間がどんな人かを

書いておきます。

 

 

もしここまで、1から読んでくれた方がいたら、

あなたは本当に神様です😆✨

 

自己紹介って、こんなに長く書くか⁉️って

ほど長い。これは、自分史です😅

 

飛ばしてくれて大丈夫です😆

 

興味を待ってくれたら、読んで欲しいです。

 

****************

 目次

1:おばあちゃんの生まれ変わりだ!と言われて、産まれる〜活発な幼少期

2:めちゃくちゃネガティヴだった小学校時代

3:バスケに熱中した中高生時代

4:夢に燃えた専門学生時代(PTとの出会い)

5:遅刻の常習犯で減給を経験した東京時代

6:何気なく就職試験にパス

7:やっと決断した!目指せ!理学療法士学生時代

8:就職したが、3ヶ月で泣く…

9:実家で半年過ごすも、どうしようもなく堕落

10:スカウトされる⁈

11:デイサービス!楽しいかも⁈

12:色んな事が体験したいの!!

 

****************

 

【10:スカウトされる⁈】

 

今回は色々勘違いのないように書きたい^^;笑

 

まず、すんなり新しい部屋が決まり

すんなりと仕事も決まりました。

 

主に私が求職活動中にしていたのは

 

① 最低限ハローワークに通うこと(失業保険がもらえませんので)

② 自宅で転職サイトの情報を見ていた

理学療法士専門の転職サイトに登録した

 

このくらいです。

 

そして、この③をしたことでお仕事が舞い込みました✨

 

(今ではなんていうサイトだったのかも覚えていない💦)

 

スカウトメール✨

というやつが届いたんですよ!!

 

少し戸惑ったんですが、担当者の方とメールのやり取りを

して、見学へ行くことにしました。

 

今少しだけ覚えているのは、その担当の方のメール対応が

良かったなあということくらいです。

まあだから見学に行くことにしたのだと思います。

 

はい!

 

そして、どんなところに見学に行ったのかというと

デイサービス

という通所介護施設です。

 

そこで、個別機能訓練を始めるので募集をかけていたそうです。

 

私が見学に伺った時には

もう1人採用されていて準備がすすめられていて

社長さんとその理学療法士さんが2人で

まあ結局は面接という感じになりました。

一応、履歴書も用意していたので…

 

実際に働く現場の見学もして…

 

デイサービスの中を見るのって初めてで

 

私が経験したデイケア老健)とは少し違い

いやっ、雰囲気がだいぶ違いました!

 

まあ施設ごとに雰囲気なんて違うと思いますが

なんかケアスタッフの方のレクが白熱していて

ただただすごいな!と。

 

ヤバいおばちゃんたちだなあと思ったことは

働き始めてから同僚になった方に共有済みです🤣

 

 

っということで、私は人生初の“スカウト“をされて

仕事に就きました♪

 

今回はこれでおわり。

 

それでは、次回は働き出してからのことについて。

 

 

 

Who is るう?part7

さぁ、理学療法士るぅの自己紹介シリーズpart 7☆

 

普段は、理学療法士という資格を持ち、

デイサービスというところで、

機能訓練指導員という仕事をしています。

 

今は、自分の祖父母と同じくらいの世代の人と

過ごす時間を楽しみながら、働いています。

 

楽しい!と思う反面、

ゼッタイにこうなりたくないなぁと

思う部分は多く、

また自分の未熟さも感じながら、

 

私が経験したことが

もしかしたら同じようなところで

悩んだりした人の役に立ったり、

大切な家族をデイサービスへ

送り出すご家族の役に立ったら

嬉しいなあぁと思って

このようなブログを始めてみました。

 

 

私は、どんな人が書いているのか

とても気になる方なので

情報として必要かは分かりませんが

るぅという人間がどんな人かを

書いておきます。

 

 

もしここまで、1から読んでくれた方がいたら、

あなたはもうお友達です😆✨

ありがとうございます♪

 

自己紹介って、こんなに長く書くか⁉️って

ほど長い。これは、自分史です‼️

 

なので、今は自分のために書いています。

 

飛ばしてくれて大丈夫です😆

 

興味を待ってくれたら、読んでやって下さい。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

ここまで書いたものはこちら↓

ーーーーーーーーーーーーーーー

描き始めてから時間が経過し、少し気持ちが

はなれていましたが、戻ってきたー!

 

****************

 目次

1:おばあちゃんの生まれ変わりだ!と言われて、産まれる〜活発な幼少期

2:めちゃくちゃネガティヴだった小学校時代

3:バスケに熱中した中高生時代

4:夢に燃えた専門学生時代(PTとの出会い)

5:遅刻の常習犯で減給を経験した東京時代

6:何気なく就職試験にパス

7:やっと決断した!目指せ!理学療法士学生時代

8:就職したが、3ヶ月で泣く…

9:実家で半年過ごすも、どうしようもなく堕落

10:スカウトされる⁈

11:デイサービス!楽しいかも⁈

12:色んな事が体験したいの!!

 

****************

 

さあ、今回は

 

【9:実家で半年過ごすも、どうしようもなく堕落…】

 

私が働いて見て感じた違和感は、老健でも病院でも、

ほぼ同じでした。

 

私は、病気や怪我をした人のリハビリをすることも

嫌いではないですが、

 

「予防」したいなって感じました。

 

予防分野のことって、当時は多くなくて

自分で何かを立ち上げる方が早いかも?!

 

って思っていましたが、何をどうしたらよいのかも

分からず、蓄えもありませんでしたから、経験だと

病院への異動を受けて働いてみました。

 

私が働いた4年間は、ある意味で自分の人生の

この先のことをすごく考えた時間になったのは

確かです。

 

「どういう生き方をして生きたいのか」

 

「なんのためにそれを選ぶのか」

 

「そのままの自分でいいのか」

 

「どうなりたいのか」

 

自分でも分からない。

でも、自分にしか分からない質問をいつもいつも

考えていたような気がします。

 

 

そして、その4年間の体験・経験をあとに卒業し

一旦、少し休憩だと思い、数ヶ月だけ

実家で過ごそうと思い引っ越しました。

 

ここからが、まあ堕落した生活の始まり〜始まり〜

ということで、家事が好きではない私は

母に頼るばかりで…

 

そう!!そして、この時、

お付き合いをすることになった方がいたのですが

少し距離が離れていたので、無職中(求職中…一応)

の私の方が動きやすかったので、その方に会いに

よく出かけていました。

 

あまり蓄えもなく失業手当もそれほどなく、

交通費+αの支出だけが増え、心にも余裕なく

 

どんどん自分を責める自分がイヤになり

責められた自分はどんどん凹み

被害者意識が膨らみ

また、そんな自分を責める

 

そんな悪循環がことあるごとに現れ

辛いなあと思うことも多かった。

 

それでも、楽しい時間も同じだけあり

精神的に変になるようなことはありませんでしたが

 

少しずつ彼との価値観の違いがみえてきて

そこがズレたらムリだなっという出来事があった

ことをキッカケにお別れをしました。

 

そして、実家でもダラダラしていましたが

いい加減ヤバい!!っと思い

実家を出るための部屋探しのために

母と少し遠出をしていい感じも町を見つけたので

適当に不動産屋さんに入り、物件を見せてもらい

内見もさせてもらい、仮契約をしました。

 

ラッキーだったなあと思います!

 

たまたま入った不動産屋さんに

たまたま求職中でも借りられる部屋があって

駐車場を無料で1台分家賃込みにしてくれて

家賃も安かったし初期費用が安かったし

古かったけど中はキレイだったし

母も賛成って言ってくれてたし

 

あとで母と話した時、今一緒に暮らすのは

お前をダメにするって思ってたっと言って

出ることに賛成だったようです^^;笑

 

本当に実家にいて何もしない娘でしたので😓

 

母に感謝でございますm(__)m

もちろん父にも。

 

 

ということで、少し離れた他県に引っ越しすることが

決まりました。

 

時を同じくして、求職を“いい意味で“適当にしていた成果があり

その時は実家から面接・見学に向かいましたが

すんなりと仕事も決まり、すんなりと新しい生活がスタート

したのでしたーーーー!

 

このすんなりと理学療法士としての仕事が決まった時のことは

次回に書きたいです!

 

では、今回はこれでおわり。

 

 

 

 

Who is るぅ?part6【プロフィール】

さぁ、理学療法士るぅの自己紹介シリーズpart 6☆

 

普段は、理学療法士という資格を持ち、

デイサービスというところで、

機能訓練指導員という仕事をしています。

 

今は、自分の祖父母と同じくらいの世代の人と

過ごす時間を楽しみながら、働いています。

 

楽しい!と思う反面、

ゼッタイにこうなりたくないなぁと

思う部分は多く、

また自分の未熟さも感じながら、

 

私が経験したことが

もしかしたら同じようなところで

悩んだりした人の役に立ったり、

大切な家族をデイサービスへ

送り出すご家族の役に立ったら

嬉しいなあぁと思って

このようなブログを始めてみました。

 

 

私は、どんな人が書いているのか

とても気になる方なので

情報として必要かは分かりませんが

るぅという人間がどんな人かを

書いておきます。

 

 

もしここまで、1から読んでくれた方がいたら、

あなたは神です😆✨

 

自己紹介って、こんなに長く書くか⁉️って

ほど長い。これは、自分史です😅

 

飛ばしてくれて大丈夫です😆

 

興味を待ってくれたら、読んでね。

 

****************

 目次

1:おばあちゃんの生まれ変わりだ!と言われて、産まれる〜活発な幼少期

2:めちゃくちゃネガティヴだった小学校時代

3:バスケに熱中した中高生時代

4:夢に燃えた専門学生時代(PTとの出会い)

5:遅刻の常習犯で減給を経験した東京時代

6:何気なく就職試験にパス

7:やっと決断した!目指せ!理学療法士学生時代

8:就職したが、3ヶ月で泣く…

9:実家で半年過ごすも、どうしようもなく堕落

10:スカウトされる⁈

11:デイサービス!楽しいかも⁈

12:色んな事が体験したいの!!

 

****************

 

8:就職したが、3ヶ月で泣く…

 

 

さぁ、理学療法士として、勤め始めましたが、

配属ですよ!は・い・ぞ・く❗️

 

 

わたし、病院に勤めたかったんですが、

 

なんと、老健❗️❗️ろ・う・け・ん❗️

 

老健…介護老人保健施設の略

 

まぁ、それは国試の数日後、リハビリ科の課長から電話があって聞いてはいましたが…

 

新人研修を終えて、いざ働き出すと、目の当たりにする訳ですよね!

 

もう医療従事者としてこんな事を思ってもいいのかなぁ〜なんて事もありますから、この部分はどこまで書けるか分かりませんが…

 

って言っても、書きますけど😅

 

とにかく、もう早く慣れようと思って過ごした

3ヶ月間のことは、その後の時間より長かったように思います。

 

たまたま行った友人宅で、不覚にも号泣するんです、わたし😭

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

とにかく、寝たきり率の高い老健だったんだと思いますが、、、

 

ベッドサイドに行って、リハビリをしていて

思わず涙を滲まずこともありました。

 

 

なぜかと言うと、その時の私は未熟でしたので

寝たきりの入居者さんに対してリハビリをする事を

 

「意味があるのかなぁ〜」

「やりたいことではないなぁ〜」

「何で私が老健なんだろう」

「楽しくないなぁ」

 

など、入職時から不満たらたらのまま

働いていました。

「この病院を就職試験を受けた時に

病院か老健かどちらかの勤務になるけどいいですか?」

 

「はいっ」

 

確かに、私は、

私の責任としてそれに同意したのです。

 

だから、誰を責めるつもりもないですし

後悔もなかったのですが、

 

ただ自分を責めていたと思います。

 

元々自分のことが好きではなかったし

自己肯定感が低い方でしたから。

 

 

そんなうちに秘めた様々な想いは

入職から3ヶ月経った頃、爆発します💣💥

 

 

今では人生の師匠・メンターと呼べる友人宅に

遊びに行った時、世間話の延長で何気なく聞かれた

質問に答えながら、自分で自分の想いにどんどん気づいていき

そのうちに秘めていた想い「本音」が

ダムが決壊したかのように流れ出しました。

 

多分、数時間は泣いていたと思います。

 

しかも、ずっと話しながら^^;笑

 

このことがそのあとの私の色んなことを

決める時のヒントというか

基準になった気がします。

 

「私は何がしたいのか」

 

という事です。

 

今リハビリしている入居者や利用者を見ていれば

「いつか突然人生が180°変わるかも知れない!」

 

それが病気か怪我か、またそれ以外か

何かは別として、何が起こるか変わらない。

 

だとしたら、

 

「やりたいことをやろう」と!

 

「後悔はしたくない」と!

 

 

私がその時思った「やりたいこと」は

「予防」でした。

 

病気も怪我も、自分が気をつけていたら

予防できるものがほとんどなわけです。

 

だから、私が働きたいのは老健ではない!

 

元々そう思ってはいましたが、

色々な理由で自分を納得させていました。

 

1年は経験だと思って老健で勤務をしましたが

2年目に入って3ヶ月位が経過した梅雨〜夏の頃

課長との定期面談で退職の旨を伝えようと思って

臨んだその面談で、意表を突いた「異動」の話。

 

 

元々が病院勤務希望でしたから

こんなに早く異動するというのは

異例だったと思います。

 

周りの先輩方に聞いても

異動には3〜5年…あるいはそれ以上

と聞いたいたので

「辞める」意思を伝える決意をしていました。

 

「異動」の話をもらって考え直し

病院での経験をしたいと思い

その時決めていた意思は胸の内の留め

新年度が来るまでの8ヶ月間老健で経験を積もうと

決めたわけです。

 

決めてからはあっという間でしたが

「決める」と周りが見えるようになるのか

楽しさも出てきて、さあやっと来月から病院勤務だ!

 

と思っていた、3月11日(金)14時46分…

 

東日本大震災が起きました。

 

私が勤務していた茨城県西部は確か震度5弱だったかな。

 

出来事で言ったら今まで経験したことのないような経験を

した濃い1ヶ月を過ごしたと思います。

 

私自身は被災したわけではありませんが

メディアからの情報は想像の外側すぎて…

ってことは、実際にはその数十倍も考えられないことが

起きたのだということですが

 

私はこの後より一層、「私はまだ生きている。だとしたら

何をしたいのか。何にエネルギーを使おうか」

この質問がいつも頭の中あって

日々の生活を送ってきました。

 

病院へ異動し、約1年後、病院でも老健でも

大きな変わりがないことが私の中ではっきりしてきて

また、梅雨〜初夏の頃、定期面談で課長に

退職する旨を伝えました。

 

この時の私の中で「はっきりしていたこと」は

 

「予防」です。

 

病気や怪我をする前に…何とかしたい!

 

以前からそう感じていました。

だから、この今の私のままでエネルギーを使うのは

イヤでした。病院でも老健でも同じでした。

 

それがはっきりわかったことは大きな収穫ではありましたし

経験も積めました。

 

課長からは後ろ髪引かれるようなことも言っていただきましたし

それが嬉しかったのは確かですが、私のエネルギー(命)をどこで

使うのかを決めるのは私なのでスッキリしていました。

 

そして、翌年3月末で晴れて卒業し、次のことも考えずひとまず

実家で過ごすことにしたのです。

 

きゃーー自分史って結構長い😅笑

 

ここまで読んだ人…いないかもしれませんが

いたら友達になれそう😄

 

さて、今回書こうと思っていましたが、堕落した半年間については

次回書きますので、よかったら♪

 

マジで思い出したくないような懐かしいような

書きたいような書きたくないような😅

 

まあ書きますけど💦

 

 

ではこんなところで。るうでした。

 

 

 

 

 

 

 

Who is るぅ?part5【プロフィール】

こんにちは。るぅです!

 

私が何者かという事を書いてきた、今回でPart5になる

自己紹介シリーズ。

というより、自分史に近い…

 

普段は、理学療法士という資格を持ち、

デイサービスというところで、

機能訓練指導員という仕事をしています。

 

今は、自分の祖父母と同じくらいの世代の人と

過ごす時間を楽しみながら、働いています。

 

楽しい!と思う反面、

ゼッタイにこうなりたくないなぁと

思う部分は多く、

また自分の未熟さも感じながら、

 

私が経験したことが

もしかしたら同じようなところで

悩んだりした人の役に立ったり、

大切な家族をデイサービスへ

送り出すご家族の役に立ったら

嬉しいなあぁと思って

このようなブログを始めてみました。

 

 

私は、どんな人が書いているのか、とても気になる方なので、

情報として必要かは分かりませんが、るぅという人間がどんな人が

興味を持ってくれた方がいたら、是非Part1から読んで

笑ってやってください😅

 

 

****************

 目次

 

1:おばあちゃんの生まれ変わりだ!と言われて、産まれる〜活発な幼少期

2:めちゃくちゃネガティヴだった小学校時代

3:バスケに熱中した中高生時代

4:夢に燃えた専門学生時代(PTとの出会い)

5:遅刻の常習犯で減給を経験した東京時代

6:何気なく就職試験にパス

8:就職したが、3ヶ月で泣く…

9:実家で半年過ごすも、どうしようもなく堕落

10:スカウトされる⁈

11:デイサービス!楽しいかも⁈

12:色んな事が体験したいの!!

 

****************

 

7:やっと決断した!目指せ!理学療法士!学生時代

 

理学療法士(以下PT)になる事を決断できた経緯や入学、その後の学生時代

まで来ましたねぇ!

 

さて、前回は、整形外科のクリニックに専属トレーナーとして勤め出した

というところでしたが…

 

まぁ、色々ありましたよ!!

 

この頃、1番経験を積んだ!!と胸を張って言えます。

 

でも、不満も多かった。

 

それが1年で積もり積もって、クリニックでの2年目。

 

私は悶々としながら、そのクリニックで働きながら夜間部のPTの専門学校に

通っていた先輩に相談しました。

 

 

今考えると、あの先輩に相談しなかったら、今私は未だに悶々としていた

かも知れない。そう思うとゾッとしますが…

 

私は、誰かに背中を押して欲しかったんだと思います。

 

 

あの時先輩に

 

「もう決めてるんじゃん!じゃあもう親に頭下げるしかないんじゃん。」

 

 

 

学校に行く為の、学費を含めたお金が一番の問題でしたからね。

 

決めていたのかも知れませんが、あと1歩の勇気がなくて、毎日のように

不平不満を言って悶々として、そんな自分がまた嫌になり…の堂々巡り。

 

 

さぁ、その先輩の言葉に背中を押された直後、実家に電話をして、

母に想いを話し、父とも相談するね〜と言う事で…

 

後日、母から電話。

「国家資格だし、取ったらいいんじゃないか。ってお父さんは言ってたよ。」

 

っと、あっさりと。

 

 

ってことで、それが梅雨時だったかな〜てっことだったから

 

受験準備、受験、合格、退職、引越し、入学、バイト探し…

 

っと、10ヶ月くらいで目まぐるしく、立場も、生活環境も、

変化し、晴れて理学療法士への道を歩き出した!

 

っと言うことです。

 

✳︎

 

そして、PT学生時代!

 

生活の流れは大まかにコレ。

 

夜学に4年間…授業は18:00から始まり、終わるのは21:30頃。

 

約1時間強、車を走らせ、自宅へ着き、23:00頃。

 

次の日は、8:00からバイト。16:00に終わり、

帰宅ラッシュの少し渋滞する時間に車で学校に向かう。

 

この様な生活を4年間です!!

 

今考えれば、結構頑張ったなぁって思いますよ!

 

 

ほとんど休みなない4年間ですからね^^;

よくやったと思います!

 

この4年の間には、

もちろん色んなことがありましたが、

4年生の1月、卒試を通過し、3月に国試。

 

私は、4年生の12月末まで、

病院に臨床実習に行っていたので、

 

そこからの2ヶ月は国試合格へ向かって必死でした!

 

でも、不思議と「落ちる気がしない」と

思ってはいましたし、周りにも言っていました。

 

そして、何と合格発表って、就職する直前に分かるんですよ😅

私の時は、3月末日だったかなぁ〜

 

もう就職先の近くに引っ越してから、

「合格」を知りました❗️

 

まぁ、それは分かっていたんですけどね😆

 

 

さぁ、晴れて国家資格「理学療法士」を取得。

 

 

無事に理学療法士としての仕事をスタートします😊

 

 

が、その3ヶ月後、泣くことになります…

 

ーーーーーーーーーーー

 

この続きは、part 8をご覧下さい(T . T) 

 

まだ、終わらない自己紹介シリーズww

 

続きます😄読んでいただけたら嬉しいですが、

自分のために書いている部分もあるこの自己紹介シリーズなので、飛ばしてもらって全然大丈夫でーす♪

 

 

 

Who is るぅ?part4【プロフィール】

こんにちは。るぅです。

 

理学療法士(以下、PT)という資格を持ち、

いつもはデイサービスというところで

高齢者のリハビリをする仕事をしています。

 

このブログは、理学療法士として

患者さん・利用者さん・入所者さん・入居者さん

と触れ合う中で、経験から学んだことや

失敗したこと、上手くいったことなどから

 

リハビリだけでなく、在宅生活に必要な知識・情報、

介護保険、福祉サービス、福祉用具介護施設の事など

リハビリや介護に関わる人に向けて役立つ情報が

発信できたらなぁと思って始めました。

 

正直、理学療法士としての向上心はあまりありませんが、

私レベルの理学療法士でも、経験の中から

きっと誰かの役に立つ事があるのだと思っています。

 

そして、どんなヤツが書いているのか、

気になる方もいる気がするので、

あっ!私は気になる方です😅

 

なので、プロフィールというか自分史的なものを

書いておこうと思います。

 

興味を持ってもらったら、嬉しいです。

 

****************

 目次

 1:おばあちゃんの生まれ変わりだ!と言われて、産まれる〜活発な幼少期

2:めちゃくちゃネガティヴだった小学校時代

3:バスケに熱中した中高生時代

7:やっと決断した!目指せ!理学療法士学生時代

8:就職したが、3ヶ月で泣く…

9:実家で半年過ごすも、どうしようもなく堕落

10:スカウトされる⁈

11:デイサービス!楽しいかも⁈

12:色んな事が体験したいの!!

 

****************

4:夢に燃えた専門学生時代(PTとの出会い)

アスレティックトレーナー(以下、AT)を目指し、

高校卒業とともに上京。

 

f:id:rusanlab:20200702222215j:plain

写真ACより:HONESHIさん

 

2年間のカリキュラムが終了し、試験を受けてAT資格を取得し、

活動をスタートするつもりだった。

 

が、とてもとても甘い世界ではない事を専門学校2年生に

進級した後知ることになる。

 

トレーナーとしての実習地は限られている。希望しても、

いけない人もいるのだ。

 

授業態度、成績、熱意、少しの運も必要だったかも知れない。

 

私は、運良く、中高とバスケをしていたからなのか、

私のキャラクターがよかったのか、バスケの実業団チームに

実習に行くことになった。短い2週間程度の実習は

あっという間に終わったが、その後も卒業まで通い

勉強させてもらえた。

 

少し妬みみたいな事を友達から言われることもあったが、

目の前のことでいっぱいで人のことまで考えてはいられなかった。

 

たった2年しかない時間をどう過ごしたのか覚えていないが、

結構真面目に勉強していたと思う。

基本的には勉強が嫌いな私が、勉強が楽しかったのだから。

特に、解剖学が好きだった。

 

人の体の構造を理解していくことが、快感とでもいう感じ

だった気がする。あと、運動学とかも好きだったなぁ。

 

 

実習の話に戻るが、

その時の「出逢い」が、ゼッタイに今につながっている!

ということが起きる。

 

今、理学療法士として働く私は、この実習で「理学療法士」を

初めて出逢った。その実習地のトレーナーは、

理学療法士柔道整復師という資格を持っていた。

 

そして、いつものように練習に行くと、

ある主力選手のリハビリをしていた。

 

私には、その手技がなんだか『魔法』のようにみえて、

雷が落ちたような衝撃を受けた。

 

なんなんだ?!理学療法士ってなんだ?!何者だ?!

 

 

あの時、私はもし資格を取ろうと思うことがあったら、

理学療法士だ。と心に決めていた思う。

 

 

専門学校卒業してからは、頭に「理学療法士」の事を考えながら

ひとまず、接骨院で働きながら、

トレーナーとしての現場としてアメフトチームで活動を

させてもらった。もちろん無償。ボランティア。

 

でも結構燃えていたので、一生懸命だったので、

給料が安くても、休みなんかなくても、なんとかなった。

 

友達と遊びたくても、彼氏と出かけたくても、

トレーナーとして何とかやっていく事が出来たら

報われる。と思っていたし。

 

※あっ、ちなみに、AT資格は取得していません。

実技は通っていましたが、筆記が…ねっ

 

少し卒業後の事も来ちゃったけど、

卒業を前に、悩んだ時期あった。

 

この世界が厳しい事もあったが、

トレーナーとしてどんな事がしていきたいのか、

迷走していたように思う。

 

だから、何年か経験を積んだら、理学療法士資格を取ろう。

そう言い聞かせて、自分としっかり向き合わなかった

のかもしれない。

 

でも、この専門学校時代がなかったら、

今に全くつながらない気がするので、

大事な体験をさせてもらって本当に感謝している。

 

 

5:遅刻の常習犯で減給を経験した東京時代

 

専門学校を卒業してからは、接骨院1年とスポーツジム1年程

それぞれ働きながら、並行してアメフトチームで2年活動した。

 

接骨院の時も、スポーツジムの時も、少し慣れて来た頃、

寝坊して遅刻が増え…何回したか覚えていないほど。

自分でも病気なのかも知れないと思うほど起きられず、

スポーツジムにいた頃、遅刻連発した時、

ボスから「今月は減給だ!」と言い渡された。

 

f:id:rusanlab:20200702222700j:plain

写真ACより:fujiwaraさん

 

結構ショックで…なぜか自分でも答えが出なかったが、

とにかく目覚ましかけまくって、出来るだけ早く寝て

対処した。

正直、マジでその時病気だったかも知れないww

 

きっと周りの人には、「今時の若い人は…」と

思われていたのではないかと思う。

いやっ!ゼッタイ思っていたし、もし私が同僚なら

バカなヤツだ!思ったであろう。

 

 

6:なんなく就職試験にパス

 

そんなどうしようもない状態ではあったが、

なんとか歯を食いしばって休日のほとんどない

社会人2年目も半年たった頃、業務で一緒になった

大先輩が、

 

「ねぇ、MCL損傷のバレーボール選手がいるんだけど、

お前だったら、どんなアスリハのメニュー立てる?」

 

 

「私なら…」っと、今のそのアスリートの状態を聞いて

確認しつつ、多分セオリーから大きく外れることのない

シンプルなメニューを答えたと記憶している。

 

 

すると、その先輩は、

 

「そっかー。参考にさせてもらうね」

 

っと、行ってしまった。

 

 

 

??私は、何んだったのか??ポカンとしてしまい、

なんとも当たり前のようなメニューを立てたから

ゲンナリしてしまったのか。とも思ったが、

何かあれば、また話が来るだろうくらいに考えた。

 

 

そして、1週間か2週間か経過したのち、

 

その先輩と顔を合わせた時、こっそりと言われた。

 

 

「恩師のクリニックで正職員で働くリハ助手探しているんだけど

 私と一緒に働かない?」

 

その時の私のリアクション…

 

「えっ∑(゚Д゚)!?」っと、真ん丸な目をして驚いたと思う。

 

そして、それを一度持ち帰って考えてっと言われ、

少しソワソワしながら、驚いたけど、内心は

「よっしゃーー!!」かなり喜びながら、

答えは持ち帰る事なく決まっていた。

 

「行く!!」

 

 

あとは、諸々の質問を先輩にして、ある程度クリアになって

一応、形だけの見学兼面接を済ませて、晴れてスポーツ整形外科の

専任トレーナーとして採用され、就職した。

 

場所は、なんと、茨城県!!

 

場所的に、車も必要になり、親に手配を頼み、家を探しに行き、

2週間くらいは東京と茨城を往復しながら、慌ただしい年度末

を過ごし、何とかその年の4月から入職となった。

 

この後、自分の甘さがどんどん飛び出してします日々を過ごす事に

なる事も知らずに、この時はまだ、期待に胸を膨らまして

ワクワクしていた。

 

✳︎

 

さぁ、かなりPTへの道に近づいてきました!!

 

でも、本当にこの茨城での経験があった事で

PTの卵、学生時代の実習がかなりスムーズに行くという

幸運を掴むことになりました。

 

本当に、無駄な経験はないですね♪

 

その後は次回へ続きます。

 

ある意味運命の瞬間が起きます!!

 

お楽しみに!

 

 

 

 

Who is るぅ?part3【プロフィール】

こんにちは。るぅです。

 

理学療法士という資格を持ち

デイサービスというところで

機能訓練指導員という役割の

仕事をしています。

 

 

ブログって、

どんな人が書いているのか

とても気になる方だったので、

自分が書くときはできるだけ、

私がどんな人がを書きたかった。

 

 

そして、自分史のような

プロフィールになっていると

いうわけです。

 

今回は、中高生の頃の私です。

サラーっと書きます。

バスケしかしてなかったので😅笑

 

興味がない方は、ほんとに飛ばしてくれて

大丈夫です😅汗

 

あぁでもできた読んでほしい😆

 

f:id:rusanlab:20200621154327j:plain

写真:写真ACより Nago-miさん

 

****************

 目次

 

1:おばあちゃんの生まれ変わりだ!と言われて、産まれる〜活発な幼少期

2:めちゃくちゃネガティヴだった小学校時代

4:夢に燃えた専門学生時代(PTとの出会い)

5:遅刻の常習犯で減給を経験した東京時代

6:何気なく就職試験にパス

7:やっと決断した!目指せ!理学療法士学生時代

8:就職したが、3ヶ月で泣く…

9:実家で半年過ごすも、どうしようもなく堕落

10:スカウトされる⁈

11:デイサービス!楽しいかも⁈

12:色んな事が体験したいの!!

 

****************

 

3:バスケに熱中した中高生時代

 

小学生の高学年…特に6年生になって

 

中学校に行ったら、絶対バスケ部に入る!

と心に決めていたので、ちょっと怖めな先輩の

ソフトボール部への誘いもスパッと断り、

バスケ部へ入った。

 

県内でも規模の小さい市ですから、

小学校から中学校まではそのまま

持ち上がるだけなので、学年の顔ぶれは同じ。

 

クラスが変わるだけ。4クラスしかなくて

9年間同じメンバーなんだから、たぶん

話したことのない同級生はいない気がするが、

どうだろう。

 

同じクラスになったことのない

子はいるかもしれないけど。

 

 

部活動は、バスケ部を選び、中々クセのある

先輩がチラホラいたのと、多感な時期、

時代というのもあったのか、今思えば

キャストは揃っていたという感じだろう。

 

 

人生で初めて「キレる」という事を体験した。

 

家族以外の人に文句をぶちまけた。

中2の時だったかなぁ〜

 

1人は、顧問の先生。

全くバスケを知らない先生だった。

人相が悪くて運転が下手で

試合の送迎の時よく酔いそうになった。

確か英語の先生だったらしいが、習った事はない。

 

もう1人は、バスケ部の同級生。

私より背が高く持久力もあったが、

ひょろっとしていて自信のなさそうな子。

 

その子は

うちのお母さんの事を悪く言ったのだ。

自分の事をいわれるなら我慢できるが、

それはもう文句ではなく、自分の意見を

たぶん結構感情的に言ったので

キレていたと思う。 

 なんて言ったかは覚えていない。

 

 

もう1人も、バスケ部の同期生。

 自分で言うのもなんなんだが、

私はその時のメンバーの中で

1番バスケがうまかった。

自分たちの代が3年生になった時

満場一致でキャプテンになった。

 

その子はちょっと悪い先輩たちと

仲がよかったので 、よく分からない

権力みたいなものを持っていると

思っていたのか…一応、部長になった。

 

が、めちゃくちゃふざけた態度でいる事で

私だけでなく部内の不満が溜まりに溜まり

爆発💣💥

 

私が、「ぶちキレた!」

初めて「ぶちっ」っと音がした!

 

その子は…部活、辞めたんだっけなぁ。

もうすでに思い出せない。

 

 *

 

中学生の頃は、まだ勉強も楽しくやっていた気がする。

塾も行かせてもらっていたし、その塾も楽しかった。

 

でも、週3の夏休み前、担任の清水先生に…3者面談で、

希望の高校は、頑張らないと少し難しいと言われて、

パチっ」と、スイッチが入った!

 

夏までバスケしかして来なかった上に、

元々そんなに勉強が好きではないときている。

 

しかし、スイッチが入ったら、あぁなるんだなぁと

思い返してもすごいと思うが、受験までの約半年間

 

一生のうちで一番勉強した!

思い返しても、これまでの人生イチである。

 

そして、晴れて受験は終わり、合格発表は、貼り出し。

朝、母と見に行った。

 

受験番号を見つけた瞬間の喜びと言ったら…

「嬉しくて言葉が出ない」という事を体験した。

感極まって泣いたくらい、本当に嬉しかったのだ。

 

 

その高校には、

バスケのいい指導者の先生がいる事も選んだ理由だ。

 

その先生のもとでバスケができる事が

楽しみで仕方なかったo(^▽^)o

  

まぁそれも結構浮かれていたんだなぁと

今は思い返す。

中学時代にその先生に、練習試合で褒められたのだ。

 

あの子はこのまま続けていけば、県の選抜選手に

なれるかも」なんて、聞いたのだよ。

 

中3の私が、かなり頑張って勉強して、その先生に

指導を受けて、県選抜入りする!

 

これは、途中まではイメージできていた。

 

そして、そのせんせいの指導を受ける!

というところまでは叶った。

 

しかし、それは高1まで。

公立高校の宿命なのか、先生は私が高2になる春…

 

なんと異動。しかも、県内ベスト4クラス、

優勝も狙えるレベルの高校に。

 

県内の女子バスケのレベルアップの為だということだ。

そして、長くいすぎたようだ。

10年以上らしいから、

そういう理由もあるらしいが、

私の先は真っ暗な気がしてならなかった。

 

 

f:id:rusanlab:20200622181837j:plain

写真:写真ACより FineGraphicsさん

その後、私は、高2、高3をバスケ漬けに過ごし、

高3の夏、やっと進路を考えるようになった時、

いつも読んでいた月刊バスケットボール

「ある記事」を見つけた。

 

それを読み、また「パチっ」とスイッチが入る。

 

将来何がしたいのか、本当に体育の先生になるのか。

考えていた。

が、その記事を見て、はっきりと定まった。

 

月刊バスケットボール 2020年 7月号[雑誌]

月刊バスケットボール 2020年 7月号[雑誌]

  • 発売日: 2020/05/25
  • メディア: Kindle
 

 

 

その記事には、『アスレティックトレーナー』が

バスケットボール選手の怪我やリハビリ、

ストレッチやテーピングをするというような事が

書いてあり、この仕事、私、やりたい!!これだ!!

 

っと、ビビッと来た。

 

それから、どうやったらなれるのか、

大学や専門学校を探したり、オープンキャンパス

予定を調べたり、だだだーーーっと事を進めた。

 

そして、私は家を出たくて仕方がなかったので、

群馬県内にはなかったのもあるが

ゼッタイ東京に行こうと考えていた。

 

そして、ほとんど勉強もせず、願書を出し、

早々に進路が決まった。

その後は、自動車教習所に通ったり、

進路の決まった仲のいい友達と遊んだりしていた。

 

高校受験の時と全く違って、ある意味全く焦りのないまま

受験を片付け、東京へ上京する事を決めていた。

 

 

考えてみると、私は少し先の未来を考える時、

 

ビビッと来た、直感的で、感情の赴くままに、

決めてきた。

 

その時は、意図的にはしていなかったが、

今振り返るとそうだし、自分で決めて来たし、

母親には、いつも事後報告だ、と言われるので、

昔からそういう風だったんだと思います。

 

 

+++++++++++++++++

 

っとまぁ、さらっと書くと言って、

内容は別として結構、量を書いてしまったが、

もしここまで読んでくれた人がいるなら、本当に本当に感謝した。

 

 

本当にありがとうございます♪

 

そして、私の今後の自分史に興味を持ってくれた人がいたら、

そのあなたはとても変人かもしれないけど、大好きです♪

 

次回は、アスレティックトレーナーを目指して邁進する

専門学校時代です。

 

お楽しみに♪

Who is るぅ?part2【プロフィール】

こんにちは。るぅです。

このブログに来ていただき嬉しいです。

 

私は、今、

理学療法士という資格を持ち、

デイサービスというところで、

機能訓練指導員という仕事をしています。

 

この仕事を選んだ事は、

とても良かったと思っていますし、

楽しく働けるって

幸せだなぁと感じでいます。

 

 

そして、このような仕事を選んだ目的が

ハッキリ分かった時の納得感とでもいうのか、

すごーーーく清々しくなったのを

覚えています。

 

その後、私は自分のメンタルが

出来るだけコントロールするように

勉強し、実践してきてきました。

 

今では、前向きでポジティブな考え方を

するようになったのですが…

 

 

とーーってもネガティヴだった

小学校時代がありました。

 

今回は、るぅって誰だ⁈ part 2の

 

「めちゃくちゃネガティヴだった小学校時代」

についてです!

 

 

****************

 目次

 

1:おばあちゃんの生まれ変わりだ!と言われて、産まれる〜活発な幼少期

3:バスケに熱中した中高生時代

4:夢に燃えた専門学生時代(PTとの出会い)

5:遅刻の常習犯で減給を経験した東京時代

6:何気なく就職試験にパス

7:やっと決断した!目指せ!理学療法士学生時代

8:就職したが、3ヶ月で泣く…

9:実家で半年過ごすも、どうしようもなく堕落

10:スカウトされる⁈

11:デイサービス!楽しいかも⁈

12:色んな事が体験したいの!!

 

****************

 2:めちゃくちゃネガティヴだった小学校時代

 

私の通った小学校は、学年4クラスで

1クラス30人強で全校で750名くらいだったかな〜

 

同じ保育園に通っていた子以外は、

入学式が初対面になる訳ですが…

 

なんせ保育園に初めて通いはじめた時の事を

覚えていませんので、この時、

自分、家族、保育園、そして、小学校へと

自分の知っている社会が広がる瞬間でしたので、

 

すごく緊張していた気がします。

 

でも、出席番号順で、隣の席になった、

S君のおかげで、学校へ行く楽しみが

増していました。

 

S君、カッコ良かったんですよ〜♪

 

あれを恋というなら、

あれが初恋だったはずです。

 

f:id:rusanlab:20200619230757j:plain

写真:写真AC  夏男さん

 

それはいいとして…

 

私の小学校時代はなんといっても、

いい意味でも、良くない意味でも、

先生との出会い」が大きく影響した気がします。

 

1年生の時は、佐藤先生で、給食の納豆が食べられず

残されたという記憶が強い。

でも基本的には優しかった印象。 

 

2年生の時は、落合先生で、ここで先生というのは

冷たい人だ!と感じ、嫌いになった。

私が男子に明らかな嫌がらせを受けていて、

目があったが、スルーされた。

 

3年生の時の富田先生は、最悪だった。

学校が嫌いになるくらい、この先生の事は嫌いだった。

勇気を振り絞って手をあげた算数の時間、指されて、

答えたら、間違えて…めちゃくちゃ先生に笑われた。

そこから、手なんかもう上げないと誓った。

 

4年生の時は、保坂先生で、初めての男の先生で、

確か…九州の出身だったので、方言が面白かった。

 

5年生の時には、きっと生涯で一番感謝したい先生に出会った。

木暮先生。

今思えば、仲の良かったと思ってた子がとてもしつこく

煽ってきたので、どうにもできずに大泣きした。

いじめられていると思ったのだ。それで、学校を休んだ。

 

 

f:id:rusanlab:20200619231532j:plain

写真:写真ACより FineGraphicsさん

 

次の日も休みたかったが、お母さんはそういう事を知っている風で、

先生に聞いたのか…仕方なく行くことにした。

私がいじめられたと思い込むほど嫌だったが、友達は

そこまでそんな風に受け取っていなくて、ごめんと、

仲直りというのか、ほぼ以前のように戻った。

 

 

あの時、友達と母に対して、木暮先生はどんな事を言ったのか。

分からないが、私はその時これまでの10年ほどの人生の中で

一番嫌な思いをしたので、木暮先生がいなかったら、

どうなっていた事か。と今では思う。

 

2年生の時の嫌がらせ、3年生の時の先生と学校への失望感、

それ以外にもいろんな事、友達が周りへいじめのような事をしている

という事実。高学年になって特に人間関係で悩んだ。

 

小学生は、小学生なりに大きな悩みを一人で抱えてしまう子もいるという

事は経験的に分かる。

 

でも、それでも親・先生を含めて周りの大人の考え方が、その後のその子の

人生に影響してしまうと思うと、私はこの両親を選んでよかったのだと

思わざるを得ない。

 

ただまだこの頃には、そんな事を思うほど大人ではありませんでしたから、

少し人と付き合う事の全般的に臆病になっていた気がします。

簡単に言うと、人があまり信用できないといいますか…

人付き合いが怖いというか…

 

そんな小学校時代を過ごし、6年生になると、その頃バスケットボールが

流行っていて、クラブでも夏休みの特別教室でも友達同士でも、体育館へ

行く事が楽しみで楽しみで(*^▽^*)

中学校に行ったら、ゼッタイにバスケ部に入ることだけは

心に決めていました。

 

何だか不思議ですよね^^; 

人付き合いが苦手だと、思っていながら、

チームスポーツの道へすすむことになるんですから。

 

だから、人生は楽しいのでしょう(^^)

 

+++++++++++++++++

 

そして、また、自分という存在が良く分からなくなる事だらけの

中高生時代に入っていきます。この時期は、いわゆる多感な時期ですが、

まぁいろんな事がありますよね〜あるのですが、ザックリ書きます。

 

まとまらないし、自分にとって重要で強い記憶のあることだけで、

2000文字簡単に書けます^^;笑

 

 

 

嬉しいです♪♪